AI概要
【事案の概要】 本件は、被告クリニックで出産した亡D(当時35歳の眼科医)が、分娩翌日に死亡したことにつき、亡Dの夫である原告A及び長女である原告Bが、被告クリニックの理事長兼院長である被告E医師に分娩後の異常出血ないし産科危機的出血への対応を誤った過失があったと主張して、被告E医師に対しては不法行為に基づき、被告クリニックを開設運営する医療法人である被告Cに対しては医療法68条の準用する一般社団・財団法人法78条に基づき、連帯して損害賠償を求めた事案である。 亡Dは、軽度の妊娠高血圧症候群と診断されて分娩誘発を経た後、平成27年1月9日午後6時頃から被告E医師執刀の緊急帝王切開術により原告Bを分娩した。手術は無事終了したものの、術後リカバリー室で出血が持続し、被告E医師は術後2時間以上経過した時点でクリニックを一時外出していた。F助産師からの電話報告を受けた被告E医師が午後11時頃に戻り、子宮内及び膣内の凝血塊約370㎖を除去したが、その後も出血は続き、翌10日午前零時30分頃になってようやく高次医療機関への救急搬送を決定した。搬送途中に心肺停止となり、搬送先のa病院で同日午前7時57分に死亡が確認された。亡Dは羊水塞栓症を発症していたと推認される。 【争点】 主な争点は、(1)被告E医師に産科危機的出血に適切に対応すべき注意義務違反があったか、(2)注意義務違反と亡Dの死亡との間に因果関係が認められるか(救命可能性の有無)、(3)損害額である。 被告らは、本件クリニカルパス(帝王切開術後の経過記録)の記載に基づき午後11時10分頃時点の出血量は約1395㎖にとどまり、ショックインデックス(SI)も0.76で産科危機的出血の状態になかったと主張した。また、亡Dは重症の羊水塞栓症を発症しており、救命は困難であったから因果関係を欠くとも主張した。 【判旨】 東京地裁は請求を一部認容した。裁判所は、まず本件クリニカルパスに記載された出血量「多100」の意味が合理的に説明できないことや、3回連続して切りの良い数値が並ぶ不自然さなどを指摘し、記載どおりの出血量を認めることはできないと判断した。心拍数と収縮期血圧の推移から、午後11時10分頃のSIは約1.3と認定し、産科危機的出血への対応ガイドラインの基準に照らせば出血量は2L弱程度と推認した。 その上で、遅くとも午後11時40分頃の時点では、出血の持続に加えて2時間以上尿量の増加がみられない乏尿の状態にあり、産科危機的出血に該当すると認定した。被告クリニックは輸血や開腹止血などの外科的処置ができないのであるから、被告E医師には同時刻までに高次医療施設へ転送すべき注意義務があったのに、翌日午前零時30分頃まで搬送決定が遅れたことは注意義務違反にあたると判示した。 因果関係については、亡Dに羊水塞栓症(DIC先行型・子宮型)の発症を認めつつも、注意義務が尽くされていれば遅くとも翌日午前零時30分頃にはa病院に到着し、ショック状態に至る前または軽度の段階で抗DIC療法が開始できたと認め、救命可能性を肯定した。被告らが提出した血清マーカー(C3・C4・C1インヒビター)の低値や低フィブリノゲン値を根拠とする重症性の主張については、採取時期や研究途上の知見であることなどを理由に排斥した。 損害については、亡Dの稼働実績や将来の開業予定などを踏まえ、賃金センサスの7割を基礎収入として逸失利益を算定し、原告Aに対し6272万余円、原告Bに対し6107万余円の連帯支払を命じた。本判決は、産科危機的出血ガイドラインに依拠しつつ、診療録の記載の信用性を精密に検証し、SIや尿量などの指標から産科危機的出血該当性と転送義務違反、羊水塞栓症下での救命可能性を正面から肯定した点に、周産期医療訴訟における実務上の意義がある。