AI概要
【事案の概要】 本件は、ゲノム編集技術「CRISPR-Cas9」を真核細胞に適用するためのベクター系に関する特許出願(発明の名称「配列操作のための系、方法および最適化ガイド組成物のエンジニアリング」、優先日2012年12月12日)について、特許庁がした拒絶審決の取消しを求めた審決取消請求訴訟である。原告は、CRISPR-Cas9研究の中心的存在であるザ・ブロード・インスティテュート、マサチューセッツ工科大学、ハーバード・カレッジ(いずれも米国)の3者。本願発明は、ガイド配列・tracrRNA・tracrメイト配列を含むRNAと、II型Cas9タンパク質を、核局在化シグナル(NLS)および組換えテンプレートとともに一つ以上のベクターに組み込み、真核細胞内でゲノム上の標的配列を開裂・改変するCRISPR-Casベクター系を内容とするものである。特許庁は、本願発明が、(1)先願である引用発明1(PCT/US2013/073307号、優先日2012年12月6日)と同一であり特許法29条の2に該当する、(2)引用発明2(Jinekらの2012年Science論文。試験管内での緩衝液中でのDNA切断を開示)および周知技術に基づき容易に想到できたものであり同法29条2項に該当する、として特許を受けることができないと判断し、本件審決でこれを維持した。 【争点】 主な争点は、(1)先願である引用発明1に基づく特許法29条の2該当性の判断の当否(取消事由1)、具体的には、引用例1の実施例(FACS実験とPCR実験)に不整合があり、CRISPR-Cas9系が真核細胞で作動することが実体を伴って開示されているといえるかという点、(2)引用発明2(試験管内での緩衝液中でのDNA切断)および周知技術に基づく進歩性判断の当否(取消事由2)、すなわち、真核細胞の核内で複合体を形成させ、ゲノムDNA上の標的を開裂するという構成(NLSの付加、ベクター化、組換えテンプレートの付加)について、本願優先日当時の当業者が容易に想到し得たかどうかである。 【判旨】 知的財産高等裁判所第1部は、原告らの請求を棄却した。裁判所は、先願明細書等に記載された「発明」とは、記載事項および当業者の技術常識を参酌して記載されているに等しい事項から把握される発明をいい、当業者が先願発明がそこに示されていることおよびそれが実施可能であることを理解し得る程度に記載されていれば足りるとの解釈枠組みを示した上で、引用例1について、(i)NLSを含むCas9、(ii)ガイドRNA、(iii)ドナーポリヌクレオチドの各ベクターを含む系が記載され、実施例の実験結果から、これらが真核細胞に組み込まれ標的部位における二本鎖切断および修復が生じると当業者が理解できると認定した。FACS実験とPCR実験の結果の不整合についても、実験プロトコルの適切さの問題にすぎず、引用発明1の実施可能性を否定するものではないとし、引用発明1のベクター系が真核細胞中の標的配列の開裂・改変機能を実体を伴って開示していると判断した。その上で、本願発明はベクター構成において引用発明1と共通しており、両者は実質的に同一であるとして、特許法29条の2により特許を受けることができないとした本件審決の結論に誤りはないと結論付けた。本判決は、ゲノム編集革命の核心をなすCRISPR-Cas9基本特許をめぐる日本における先願主義適用の先例であり、29条の2における先願発明の認定水準(実施可能性の記載要件)を示した点、および米欧で並行して繰り広げられた世界的特許戦争の一場面として、バイオ分野の特許実務上重要な意義を有する。