AI概要
【事案の概要】 本件は、遺伝子編集技術「CRISPR-Cas9」に関する特許出願(発明の名称「遺伝子産物の発現を変更するためのCRISPR-Cas系および方法」)をした原告ら(ザ・ブロード・インスティテュートおよびマサチューセッツ工科大学)が、拒絶査定不服審判請求を不成立とした特許庁の審決(平成30年9月14日付け不服2017-13796号事件審決)の取消しを求めた審決取消訴訟である。本願発明は、真核細胞内のゲノムDNA中の標的配列を切断・改変するため、ガイドRNAとII型Cas9タンパク質(核局在化シグナル付き)をコードするベクター系を用い、tracr配列の長さを「30以上のヌクレオチド」と特定する点に特徴がある。審決は、本願発明が先願(引用発明1)と実質同一であって特許法29条の2に違反し、また引用発明2および周知技術に基づき容易に発明できたから同法29条2項にも違反するとしていた。 【争点】 (1)本願発明と引用発明1との同一性、特にtracr配列を「30以上のヌクレオチド」と下限値で特定したことが実質的相違点といえるか。(2)本願発明と引用発明2(Science誌掲載のtracrRNA26ヌクレオチド長を用いる試験管内CRISPR-Cas系論文)との対比において、tracr配列の長さを26から30以上に変更することが当業者にとって容易想到であったか。 【判旨】 知的財産高等裁判所第1部は、審決を取り消した。引用発明1との関係では、引用例1の記載からは、tracr配列が30ヌクレオチド未満の範囲について真核細胞内でゲノム改変を実現する技術的裏付けが十分でなく、「30以上のヌクレオチド」との下限特定は単なる数値限定を超えて真核細胞におけるゲノム改変効率向上という効果上の差異を生じさせる実質的相違点であると認定した。引用発明2との関係では、引用例2は緩衝液中・試験管内でのプラスミドDNA切断実験を開示するにとどまり、26ヌクレオチド長より長いtracrRNAの方が切断効率に優れることを示す記載はなく、本願優先日当時CRISPR/Cas系を真核細胞に適用した報告も存在しなかったと認定。そのうえで、本願明細書の実施例4がtracr配列長の伸長により真核細胞内のゲノム改変効率が向上することを示しており、26から30以上への変更は15パーセント以上の増加であって「多少長くした」程度とはいえず、当業者の期待・予測を超える効果が認められるとして、相違点4の容易想到性を否定した。結論として、取消事由1・2がいずれも理由があるとして本件審決を取り消した。本判決は、世界的なCRISPR-Cas9特許競争の日本における一場面であり、ゲノム編集基幹技術の数値限定発明について、試験管内実験と真核細胞内実験との技術的隔たりを重視し、効果の予測困難性を根拠に実質的相違性および非容易想到性を認めた実務上重要な事案である。