AI概要
【事案の概要】 本件は、被告会社(合成樹脂メーカー)のポリマー技術課に所属して研究開発に従事してきた原告ら2名が、被告に対し、職務発明として完成させた特許(塩素化塩化ビニル系樹脂の洗浄方法及びその装置に関する特許、以下「本件特許」)につき、特許を受ける権利を被告に承継させたことの対価として、旧特許法35条3項に基づき、総額1億5000万円(原告P1に1億3500万円、原告P2に1500万円)及び遅延損害金の支払を求めた事案である。 塩素化塩化ビニル系樹脂(HA樹脂)は、塩化ビニル系樹脂を水懸濁状態で塩素化して製造される素材であり、塩素化の過程で副生する塩酸を水洗除去する工程が不可欠である。被告は、昭和60年以降、遠心分離を用いた「デカンタ方式」で洗浄を行っていたが、原告らは平成8年頃から新たな洗浄方式の現場導入を担当し、実験等を経て本件発明の着想に至り、平成10年6月以降、被告は本件発明に係る濾過方式(本件洗浄方式)による洗浄工程を実施するに至った。本件特許は平成14年に出願され、平成18年に設定登録された。 被告は社内規程に基づき、出願時・登録時および3年ごとの実施対価を原告らに支払っていたが、原告らはこれを不足として、本件発明の実施により被告が得たコスト削減額(設備投資、メンテナンス、電力、水道、廃棄物等)を基礎に、相当対価の追加支払を求めた。 【争点】 主要な争点は、(1)被告に本件発明による独占の利益(超過利益)が発生したか、(2)発生した場合の相当対価の額である。特に、独占の利益を算定する比較対象を、本件発明実施前に被告が採用していたデカンタ方式とすべきか(原告の主張)、それとも本件特許出願時に既に公知であった濾過方式(足立発明1・2に基づく「公知濾過方式」)とすべきか(被告の主張)が中心的な対立点となった。 【判旨】 裁判所は原告らの請求をいずれも棄却した。 まず本件発明の技術的範囲について、特許請求の範囲を精査し、原告らが発明の特徴として強調する「移送配管に水の供給を継続する構成」「ケーキ層の水位が5cm以下に低下してから洗浄水を供給する構成」「1回のみで洗浄する構成」等は、いずれも明細書上の望ましい実施例の記載にとどまり、特許請求の範囲の文言に含まれない以上、本件発明の技術的範囲を画するものではないと認定した。 次に、被告が挙げる足立発明1および足立発明2(いずれも被告が本件特許出願以前に出願していた公知技術)との対比を行い、本件発明第1工程・第2工程およびケーキ層のスラリー化・抜き出しに係る構成の大部分は公知濾過方式に既に開示されており、わずかに第3工程における水供給位置(移送配管の開口部および洗浄槽上部)の組合せだけが新規性を有すると認定した。そして、他社工場において公知濾過方式と同様の洗浄方法が実際に実用化されていることから、公知濾過方式は実用化可能な技術であると認めた。 そのうえで裁判所は、職務発明の相当対価算定の基礎となる「独占の利益」は、特許の禁止的効力によって競業他社が実施できなくなることで使用者が得る競争上の優位から生じる利益であると整理し、本件では競業者は本件発明そのものは実施できなくとも公知濾過方式は自由に実施できるから、比較対象はデカンタ方式ではなく公知濾過方式とすべきであるとした。原告らはデカンタ方式との比較のみを主張し、公知濾過方式との比較による予備的主張を明示的に行わなかったため、特許法35条3項の相当対価が存するに足りる主張立証はないと判断し、請求をすべて棄却した。 本判決は、職務発明の相当対価請求において、「独占の利益」の算定基礎は使用者が単に発明を自己実施して得る利益ではなく、特許の禁止的効力により競業者が実施不能となることで生ずる競争上の優位であること、その比較対象は当該特許出願時の公知技術との差異に限られることを明確にしたものであり、コスト削減型発明における超過利益の立証のあり方について実務上重要な示唆を与える判断である。