AI概要
【事案の概要】 本件は、医療用薬液メーカーである原告(ニプロ株式会社)が、被告ら(国立大学法人千葉大学及び扶桑薬品工業株式会社)を共同特許権者とする特許第5329420号(発明の名称「安定な炭酸水素イオン含有薬液」、請求項の数17)について特許無効審判を請求し、特許庁が訂正を認めた上で無効不成立とした審決の取消しを求めた事案である。本件特許は、急性腎不全患者等に対する急性血液浄化療法で用いる透析液・補充液に関する発明であり、ナトリウム・塩素・炭酸水素の各イオンを含むA液と、ナトリウム・カルシウム・マグネシウム・塩素・ブドウ糖を含むB液を用時混合する二剤型の薬液について、混合液中の各イオン濃度を特定することで、少なくとも27時間にわたり不溶性微粒子や沈殿の形成を実質的に抑制することを特徴とする。無効審判の係属中、被告らは混合液のカリウム・無機リン・カルシウム・マグネシウム・炭酸水素の各イオン濃度を明細書の実施例1・2に対応する数値に限定する訂正を請求し、特許庁はこれを認容の上、原告が主張した実施可能要件違反、サポート要件違反、及び甲2・甲3を主引用例とする新規性・進歩性欠如の各無効理由をいずれも斥けた。原告はこれを不服として審決取消訴訟を提起した。 【争点】 主要な争点は、(1)訂正要件該当性(明細書実施例から一部イオン濃度のみを取り出すことが新規事項の追加に当たらないか)、(2)甲3(国際公開第2006/041409号公報)記載の実施例4を主引用例(引用発明2)とする本件訂正発明1の進歩性の有無、(3)従属項である本件訂正発明2ないし17の進歩性の有無、及び(4)甲2を主引用例とする新規性・進歩性、明確性・実施可能・サポート各要件充足性など複数の取消事由に及ぶ。中でも進歩性判断では、ナトリウムイオンの両液配合への変更、医療溶液を「急性血液浄化用薬液」とする用途の特定、無機リン・マグネシウム・炭酸水素の各イオン濃度を本件訂正発明の数値に変更すること、さらに「少なくとも27時間にわたって不溶性微粒子や沈殿の形成が実質的に抑制される」との構成の容易想到性が個別に問題となった。 【判旨】 知的財産高等裁判所第4部は、原告主張の取消事由2-1及び2-2を理由があると認め、本件審決を取り消した。まず、甲3には「ナトリウムイオンおよび/または塩化物イオンは、通常は、第一単一溶液および第二単一溶液の両方に配合される」との明示的記載があり、実施例1ないし3及び5でも両液への配合が示されていることから、引用発明2においてナトリウムイオンを両液に配合することは当業者が適宜選択し得る設計事項であると判断した。また、甲3の「医療溶液」には「腎疾患集中治療室内での透析用の溶液」が含まれ、急性腎不全患者への持続的血液浄化に適応し得ることが甲3自体から理解できるから、「急性血液浄化用薬液」として使用する動機付けがあると認定した。さらに、無機リン・マグネシウム・炭酸水素の各イオン濃度については、甲10(「急性血液浄化法徹底ガイド新装版」)等により、本件優先日当時、市販透析液・補充液においてカルシウムイオン濃度2.5~3.5mEq/L、マグネシウムイオン濃度1.0~1.5mEq/L、炭酸水素イオン濃度30mEq/L前後の範囲で調整することは技術常識ないし周知技術であったと認め、本件訂正発明1の数値への変更は設計事項にすぎないとした。そして、これらの構成を採用した結果として「少なくとも27時間にわたって不溶性微粒子や沈殿の形成が実質的に抑制される」という効果が自ずと備わるから、当該数値限定も別個の技術的意義を有するものではないと判断した。被告らが主張した顕著な効果(pHが上昇しても沈殿形成が抑制される等)についても、本件訂正発明1が通常の使用態様において奏する効果とは認められない、本件明細書に具体的に開示されていない対比試験に基づくものである等として排斥した。以上により、本件訂正発明1は甲3に基づき当業者が容易に発明し得たものであり、これを前提とする従属項及び容器クレームである本件訂正発明2ないし17の進歩性判断もその前提を欠くとして、残る取消事由の判断を要せず審決を取り消した。本判決は、医薬発明の進歩性審査において、引用例に明示された「通常」の配合パターンや技術常識・周知技術(市販品の濃度範囲等)が設計事項として厚く認定され、数値限定のみによって進歩性を基礎づけることの難しさを示すとともに、「顕著な効果」の主張についても明細書記載との整合性を厳格に要求する姿勢を明確にしたものとして、医薬・化学分野の特許実務上の意義を有する。