AI概要
【事案の概要】 本件は、散乱光式煙感知器に関する特許(特許第4010455号、名称「散乱光式煙感知器」)の特許権者である原告ホーチキ株式会社が、被告能美防災株式会社の無効審判請求(無効2016-800079号)に対する特許庁の審決のうち、本件特許の請求項1ないし6、8に係る発明について特許を無効とした部分の取消しを求めた事件である。 本件発明は、2つの発光素子と1つの受光素子を組み合わせ、両者の散乱光量を比較することで煙の種類を識別する煙感知器に関するものである。具体的には、第1発光素子と受光素子の間の散乱角より、第2発光素子と受光素子の間の散乱角を大きく構成したうえ、第1発光素子が発する第1波長に対して第2発光素子が発する第2波長を短くし、両素子による煙の散乱光量を比較することで、火災による煙と、調理の煙や湯気など非火災原因の煙とを区別する点に特徴がある。綿灯芯の燻焼煙(白色煙)とケロシンの燃焼煙(黒色煙)の場合に受光信号量の比率に顕著な差を生じさせ、非火災報を防止することを目的とした技術である。 特許庁は、国際公開第01/059737号(甲1文献)に記載された煙粒子感知装置を引用発明とし、本件発明が甲1文献及びその他の公知文献に基づいて当業者が容易に想到できたとして進歩性を欠くと判断し、請求項1ないし6、8に係る特許を無効とする旨の審決をした。これに対し原告が審決取消しを求めて提訴した。 【争点】 本件の主たる争点は、(1)甲1文献に「長波長光からの振幅信号と短波長光からの振幅信号との比を比較することで煙粒子の大きさを判定する」という技術的思想が開示されているか(引用発明認定の誤りに基づく相違点の看過の有無)、(2)本件発明の相違点1(第2波長を第1波長より短くする構成)の容易想到性、(3)本件審決予告と審決とで理由を差し替えた手続違背の有無である。 中心的争点は争点(1)であり、甲1文献に「信号の比を比較することにより粒子が大きいか小さいかを判定することができる」との記載(本件記載)があるところ、その「信号の比」が長波長光の振幅と短波長光の振幅の比を指すのか、それとも各波長の絶対振幅と相対振幅の比を指すのか、また、「短波長光は、大小の粒子いずれの場合にも相対的に等しい振幅信号を生成する」との記載がレイリー理論やミー散乱理論から技術的に整合的に理解できるかが問題となった。 【判旨】 知財高裁第3部(鶴岡稔彦裁判長)は、審決を取り消した。 裁判所はまず、甲1文献の「信号の比」という文言につき、文脈上は長波長光の振幅信号と短波長光の振幅信号の比と理解する余地があることを認めた。しかし、本件記載が技術的に整合的に理解できるかを検討したうえ、以下の理由により当業者は甲1文献から「長短波長光の振幅信号の比を比較することで煙粒子の大きさを判定する」という技術的思想を認識することはできないと判断した。 第一に、レイリー理論を前提とすれば、質量濃度一定の場合、長波長光が小さな粒子で小さな振幅信号、大きな粒子で大きな振幅信号を生成するなら、短波長光は長波長光よりさらに小さな粒子についても粒子の大きさに比例した振幅信号を生成することになるはずであり、「大小の粒子いずれの場合にも相対的に等しい振幅信号を生成する」とはいえない。 第二に、ミー散乱領域を考慮した審決の理屈についても、粒径パラメータα<0.3では散乱光強度が粒径の3乗に比例し、α>5では粒径に反比例するとしても、その間(0.3<α<5)の散乱光強度と粒径の定量的関係を審決は明らかにしておらず、常に短波長光が長波長光に比べ相対的に等しい振幅信号を生成するとはいえない。さらに、α>0.3の領域では散乱光強度は散乱角に強く依存して変化し、粒径の影響は散乱角ごとにまちまちであるにもかかわらず、審決はこの点を考慮していない。 以上より、甲1文献から「長波長光からの振幅信号と短波長光からの振幅信号との比を比較する」という構成を読み取ることはできず、審決には本件発明と引用発明の間の相違点を看過した誤りがある。この看過は無効審決の結論に影響を及ぼすから、その余の取消事由を検討するまでもなく審決を取り消すべきであるとして、原告の請求を認容した。 本判決は、引用文献の記載を技術常識(レイリー散乱・ミー散乱領域・フラウンホーファ領域)に照らして詳細に解釈し、文言上読み取れる記載であっても理論的に整合的に理解できなければ当業者が認識する技術的思想とはいえないとの立場を示した事例として、進歩性判断における引用発明の認定のあり方を示す点で実務上の意義がある。