特許権侵害差止請求控訴事件
判決データ
- 事件番号
- 平成31ネ10014
- 事件名
- 特許権侵害差止請求控訴事件
- 裁判所
- 知的財産高等裁判所
- 裁判年月日
- 2019年10月30日
- 裁判官
- 高部眞規子、小林康彦、関根澄子
- 原審裁判所
- 東京地方裁判所
AI概要
【事案の概要】 本件は、高コレステロール血症の治療薬として用いられる抗PCSK9モノクローナル抗体に関する特許権侵害差止請求事件である。PCSK9(プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型)は、肝臓細胞表面のLDL受容体(LDLR)に結合してその分解を促し、血中LDLコレステロール濃度を上昇させる働きをもつ酵素であり、この結合を中和する抗体は画期的な脂質異常症治療薬として開発が進められてきた。 「プロタンパク質コンベルターゼスブチリシンケクシン9型(PCSK9)に対する抗原結合タンパク質」との発明名称の2件の特許権を有する被控訴人(米国アムジェン社)は、控訴人(サノフィ株式会社)が製造販売する抗PCSK9モノクローナル抗体製剤及び原薬モノクローナル抗体について、これらがLDLRとの結合を中和し、かつ特許明細書に具体的に記載された参照抗体1または2と競合するものであるとして、本件各特許権を侵害すると主張し、控訴人製品の生産、譲渡、輸入、譲渡の申出の差止めと被告製品の廃棄を求めた。原審の東京地方裁判所は被控訴人の請求を概ね認容したため、控訴人が控訴を提起した。 【争点】 主要な争点は、(1)被告製品及び被告モノクローナル抗体が本件各発明及び本件各訂正発明の技術的範囲に属するか、(2)本件各特許に無効理由(サポート要件違反、実施可能要件違反、乙1文献及び乙27文献に基づく進歩性欠如)があるか、(3)差止めの必要性及び権利濫用の成否である。 特に本件では、特許請求の範囲が抗体のアミノ酸配列を直接特定せず、「参照抗体と競合する」というパラメータと「LDLRとの結合を中和できる」との機能によって規定されるいわゆる機能的クレームであったため、その解釈と有効性が激しく争われた。控訴人は、構造を特定しないクレームは明細書に具体的に開示された抗体を超えて独占権を与えるものであり、サポート要件及び実施可能要件を満たさず、また、抗体による結合阻害は公知技術から容易に想到できたと主張した。 【判旨】 知的財産高等裁判所第1部は、控訴を棄却した。 技術的範囲の属否については、被告モノクローナル抗体がPCSK9とLDLRとの結合を中和し参照抗体1及び2と競合することに当事者間で争いがない以上、被告製品等は本件各発明及び本件各訂正発明の構成要件をすべて充足し、その技術的範囲に属すると判示した。機能的クレームであることを理由にアミノ酸配列による限定解釈をすべきとの控訴人主張は、明細書の記載からみて妥当でないとして退けた。 サポート要件及び実施可能要件についても、本件各明細書には参照抗体と同様の機序でPCSK9の特定部位に結合し結合中和作用を奏する抗体群という技術思想が開示されており、当業者が過度の試行錯誤なく発明を実施し同様の効果を得られると理解できるから、いずれも充足するとした。 進歩性の点では、乙1文献及び乙27文献はいずれもPCSK9とLDLRとの相互作用に関する知見を開示するにとどまり、参照抗体1又は2と競合する結合中和モノクローナル抗体を取得するための具体的な手掛かりを示していない。動物免疫法等による抗体作製には注射条件等の微妙な相違で反応性が変動することに照らせば、周知技術を適用しても参照抗体と競合する抗体に容易に到達できたとはいえず、進歩性欠如の主張は採用できないとした。 差止めの必要性については、控訴人が親会社サノフィ等から被告モノクローナル抗体を輸入可能であり、細胞株培養により容易に生産できることから、侵害行為のおそれを認めた。患者の治療選択肢確保を理由とする権利濫用の主張も、被控訴人の代替製品で具体的な健康上の不利益が生じるとの立証はなく、公共の利益の観点から差止めを制限すべき事情はないとして退けた。 本判決は、抗体医薬分野における機能的クレームの有効性と権利範囲について踏み込んだ判断を示した重要裁判例であり、バイオ医薬品の特許実務に大きな影響を与えるものである。