心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律42条1項の決定をすることの申立事件
判決データ
- 事件番号
- 平成30医ろ6
- 事件名
- 心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律42条1項の決定をすることの申立事件
- 裁判所
- 札幌地方裁判所
- 裁判年月日
- 2018年11月20日
- 裁判官
- 向井志穂
AI概要
【事案の概要】 本件は、心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(医療観察法)に基づき、検察官が札幌地方裁判所に対し、対象者を医療観察下に置く決定を求めて申立てをした事件である。 対象者は母と二人暮らしの女性で、平成24年頃から精神科に通院し、軽度から中等度の精神遅滞、情緒不安定性人格障害等と診断されていた。平成29年秋頃からは「死神派遣協会代表の甲」「3才のBちゃん」など複数の人格の存在を訴え、解離性同一性障害を主張するようになっていた。母との共依存関係が極度に深まる一方で、感情の起伏が激しく、母が少しでも離れようとすると興奮して自傷行為に及んだり、警察に繰り返し通報するなど、問題行動が常態化していた。 平成30年4月17日、母が対象者と衝突して家を出た後、対象者は数時間にわたり110番通報や警察署への電話を繰り返し、「母を呼ばなければ首を絞める」「火をつける」などと要求をエスカレートさせた。そして同日午後11時25分頃、自らの居住するアパート室内に灯油を散布して放火し、共同住宅約66.95平方メートルを焼損させた。 検察官は、対象者が本件放火(現住建造物等放火)を行ったことを認めつつ、心神耗弱状態にあったとして不起訴処分とし、医療観察法42条1項の決定を求めて本件申立てに及んだ。 【争点】 本件の主たる争点は、対象行為時に対象者が心神耗弱状態にあったか否かである。具体的には、対象者の精神遅滞の程度が中等度なのか軽度から境界レベルなのか、情緒不安定性人格障害および主張される解離性同一性障害が事理弁識能力・行動制御能力にどの程度の影響を及ぼしたかが問題となった。 捜査段階の鑑定人I作成の鑑定書は、対象者を中等度精神遅滞と判断し、対象行為時の善悪判断能力および判断に従った行動能力が著しく障害されていたとした。他方、本件申立ての鑑定人J作成の鑑定書は、精神遅滞は軽度から境界レベルにとどまり、解離性同一性障害は詐病性が強く疑われるとして、刑事責任能力に影響を与えるレベルではないと結論づけた。 また、付添人は、対象者が放火したのではなく失火であるとの主張もしていた。 【判旨(量刑)】 札幌地裁(向井志穂裁判官)は、本件申立てを却下した。 まず放火性について、火災警報器作動時の対象者と警察官の電話で「それじゃあ火をつけるぞ」「火をつけたぞー」などと自認する発言があったこと、広範囲から相当量の灯油が検出されたこと、飼い猫の動き回りによる灯油付着という対象者の弁解が不自然で再現実験結果にも反することから、対象者による放火を認定した。 責任能力については、I鑑定よりJ鑑定に合理性を認めた。I鑑定が根拠としたWAIS-Ⅲの検査結果は、対象者が免責を意識して知的能力を低く見せようとしていた可能性が高く、平成24年にA病院で実施された過去の検査結果との比較考察も欠いており信用できないとした。また、対象者が小学校卒業文集で基本的な読み書きを習得していたこと、対象行為直前のLINEメッセージで巧みな言葉遣いをしていたことなどから、言語理解・使用領域の著しい発達遅滞も否定した。 その上で裁判所は、本件放火が母との共依存関係による不安定な感情を背景に、警察を巻き込んで母を連れ戻そうとした行動の延長であり、脅迫の程度を段階的にエスカレートさせた合目的的・一貫性のある行動であると認定した。放火が違法であると認識していたからこそ警察への働きかけの材料としたこと、犯行後に隣人へ知らせ、自ら119番通報して状況を的確に伝えたことなどから、事理弁識能力および行動制御能力が著しく減退していたとはいえず、完全責任能力者であると判断した。 医療観察法は、心神喪失または心神耗弱の状態で重大な他害行為を行った者に対する医療・社会復帰支援制度であるため、完全責任能力が認められる本件では同法による医療観察の対象とならず、申立ては却下された。本決定は、複数鑑定が対立する事案において、裁判所が心理検査結果の信用性を慎重に吟味し、生活歴・行動の合目的性・事後対応等を総合して責任能力を判断した実例として、実務上参考となるものである。